ルネ・シェレール『ノマドのユートピア』(杉村昌昭訳、松籟社、1998年)1

ユートピアの規定、イマジネーション、イメージとの関連について

「ルイ・マランにならって、「ユートピア」は単なる知性の産物としての「概念の次元に属するものではなく」、「イマジネーション」の次元に属するものである、といっておきたい。この著者〔ルイ・マラン〕とともに、これをもう少し明確にいうなら、ユートピアはイメージというのでもなくて、「イマジネーション」の図式のようなもの、いわば知性と感性の媒介を保証するダイナミックな「図像」である、ということになるだろう」201

「 ルイ・マランは、また、ユートピアは現実を「中和化」する働きをもち、その批判的機能によって、絶対的とされる唯一の歴史的現実にわれわれの判断が吸収されていくのを止める効果を発揮する、とつけくわえている〔シェレールの17ページ参照〕。しかし彼は、われわれが認めること——すなわち、ユートピアは政治的企図ではないとしても、戦略としての機能を保有するものであるという見方〔シェレールの戦争機械としてのユートピア17ページ参照〕——を拒絶してもいる」201

*ルイ・マラン『ユートピア的なもの——空間の遊戯——』、梶野吉郎訳、法政大学出版局、1995年参照