メタボリズムについて(八束はじめ「「メタボリズム連鎖〔ネクサス〕」という近代の超克」、in メタボリズム未来の都市カタログ所収、pp. 10-16より)さらにつづき

「こうした自律的な環境をハードとして考えれば、フラーのダイマキシオン・ドームやメタボリストのカプセルとなり得るし、都市および社会にまでスケールを拡げれば、丹下が自ら述べた構造論的段階の次に窺っていた「情報」の都市に行き着く。デザインの対象を「構造」や「生産」から「情報」あるいは「象徴」にシフトすることによって浮上する総合的な「環境」のフィールドである。メタボリズムの提唱した新陳代謝、つまり固定されずに流動する環境像は、これと大きく変わるものではない。ソフト・メタボリズムと言ってよいようなものだ」14-15


メタボリズムが大規模に構想された機会が1970年に大阪で開催された日本万国博覧会である」15

「日本というネーションを、かつての軍事的ヘゲモニーによる海外進出とは逆に、平和裡な世界統合に向けて拓こうとするイベントだった」15

ここでは黒川とGK、あるいは大谷や菊竹のカプセルのようなハード・メタボリズムが会場中に振り撒かれたばかりでなく、磯崎が「ソフト・アーキテクチャー」として構想し、丹下がかたちを与えた大屋根が中心施設としてつくられたが、それは空中都市のモデルでもあった」15