メタボリズムについて(八束はじめ「「メタボリズム連鎖〔ネクサス〕」という近代の超克」、in メタボリズム未来の都市カタログ所収、pp. 10-16より)

メタボリズム
:日本で唯一と言っていい前衛建築——デザイン運動
:構成員(大高正人菊竹清訓槇文彦黒川紀章(以上建築)、川添登(批評家)、栄久庵憲司(インダストリアル・デザイン〔集団GK〕、粟津潔(グラフィック・デザイナー))
:関連する準?構成員(丹下健三、浅田孝、大谷幸夫、磯崎新など)
:1960年の「世界デザイン会議」から15年ぐらいの期間


「未来に対する楽観的な見通しに先導された「ユートピア」的な運動と考えられがちであった「メタボリズム」」10


「国家-民族の建築〔ネーション・ビルディング〕の企ての系譜としてのメタボリズム」11


「〔戦後の〕大都市での人口圧力〔1960年の東京の人口1000万人弱〕は戦前に増して増大し、戦災復興のみならず、新しい生活圏の獲得という課題を旧にもまして引き受けざるを得なかった。生活圏を海外に求めることができないとすれば、残る領域はふたつしかない。海上と空中である」12


「1960年代は戦後復興を完成し、奇跡と言われた経済成長へと転じる時代であった。この時期の初頭に従来の建築の絶対高さの制限が緩和され、都市の空中への伸長、つまり高層化への道が拓かれた」13


「黒川は新陳代謝を意味するグループ名が示唆する生物-生命形態〔バイオフォルム〕のイメージに最もこだわった建築家だが、DNA螺旋を模したメガストラクチャー「東京計画1961ーーHelix計画」や、細胞形は、「山形ハワイドリームランド」や「菱野ニュータウン」にも見られるというように、バイオフォルムは都市から建築まで適用されている」14

「東京計画1961ーーHelix計画」

「山形ハワイドリームランド」



「メガストラクチャーと並んでメタボリズムのトレードマークとなったカプセル(菊竹の言葉ではムーブネット)は、個々の工業的なイコンだけに注目が行きがちだが、むしろ都市あるいは国土全体を生産システムのネットワークとして考える思想の表れである」14

「黒川と並んでこの分野に力を入れた栄九庵のGKは、家具から都市に至るカプセル的な志向を『道具考』としてまとめたが、彼らにとって人間環境はすべてシステム化された「道具」的パラダイムとして包摂される。キッコーマンの醤油瓶から始まって何でもデザインの対象としたGKの仕事は、それがゆえの匿名性を帯びたが、あらゆるものをシステムあるいは生産系として捉えるラジカルな思想であった」14


「 菊竹はムーブネットを徹底的に道具化したが、この共同空間は都市あるいは社会の単位を保証するものだった。この共同空間は、黒川では「道」として実体化され、槇や磯崎では「界隈」として概念化された。これはしばしばユートピア的と形容されがちなメタボリズムの現実的な側面のひとつである」14


「私はメタボリズムユートピア的と形容することをまったく好まないが、そのひとつの理由は、ユートピアと言ってしまうことで、メタボリズムが日本の都市的、社会的現実に密接に関わっていたという重要なモメントが見落とされかねないからである。それは建築家個々人のビジョンの夜郎自大な飛躍だったわけではなく、勃興するネーションとしての日本の社会的野心に結び付いていたのである」14(強調は引用者)