whyとwhatが抜け落ちた映画

とある人に『カクタス・ジャック』という映画を紹介してもらう。
初期映画ばかり観てると21世紀の映画の鮮明さにビックリする。。。


カクタス・ジャック [DVD]

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さて『カクタス・ジャック』。

ポストモダン的映画」という言葉に回収させて終わらせるのは少々もったない作品。

スタイルは非常に明快。同時継起的な出来事が結末に向かって繋がっていく。またストーリーも明快。この作品の宣伝やレビューを見たことはないが、恐らくストーリーにかんしてはほぼ全て明かしているだろう。開始5分程度で全てがわかってしまう。ただ結末だけは分からない(とある深夜映画劇場の解説タレントのように、結末以外のストーリーはほぼすべて冒頭でかたってしまう)。

では何を観客・視聴者は観るのか。
「結末は自らの眼で確かめて下さい」とは言えない。
重要なことは結末ではない。


この作品で重要なことは、どのように=how 諸々の出来事を繋いでいくのか、どのようにそれらのつなぎが結末となるのか。
なぜ=why 諸々の出来事が起こるのかは直接的な問いではなく、その出来事が何=what なのかも問われない。そうした問いは「知らねぇよ!」という回答で終わらされてしまう。whyとwhatはhowの様相で変化する。

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で、何よりも面白いのは、数々のメディウムによる記憶。
とりわけテレビによる記憶が作品の随所で現れる。それが本当に、仕方が
ないくらい馬鹿馬鹿しい。だが、笑ってしまう。でもなぜそうしたテレビ映像が挿入されるのか、そうした映像は何なのかは、まったくもって分からない。重要なことはどのように挿入し、どのような映像にするのかである。

ただ残念なことは、僕自身があまりにもメキシコに疎かったこと。
メキシコのテレビ文化を知っていれば、この映画はさらに面白かったような気がする。ま、それは無理な話だが・・・・。

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映画を観終わった後、この作品と類似したまたは類似したように見える形式をもつ諸々の作品を思い浮かべる。意外と好きな作品が多かったことに驚く。

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