研究ノート2:万博への否定的な声

江藤淳(文芸批評家、復古的保守派?)の言及
「二月のはじめごろ、古山編集長や中谷さんといっしょに、万博会場の下見に出かけたとき、私はなにか遊牧民族が二つか三つ集まって千里丘陵に移動して来たのではないか、というような印象を受けたものである。とにかく蒙古の包〔パオ〕かテントのお化けのようなものが、やたらとあちこちに建っていたからだ。その大部分の色彩はどぎつく、かたちは醜悪あるいは猥褻で、遊牧民俗は、色盲か性的欲求不満におちいっている〔原文ママ〕のではないかと思われた。聞けばこれは「企業館」という代物で、現代の日本の産業を代表する各企業が、宣伝のために建てたのだそうである。なかには包〔パオ〕のようなのばかりではなく、七重の塔や太閤秀吉の御殿の離れみたいなものもあり、その俗悪ささたるや肌に粟を生ぜしめた」(江藤淳「五色の文字と蝶の翅——万博ぶらりぶらり」、『季刊芸術』第13号、vol. 4、No.2、1970年、15頁)



「しかしこういう醜怪なものばかり出来るのは、なにも企業の側だけの責任だとはいえない。企業の意向を受けて多額の金を消費し、もっともらしい理窟をつけて感受性ゼロの実業家たちをタブラかした才人どもがいるにちがいない。才人、すなわち虚業家、あるいはこれを山師ならざるパヴィリオン師という。多くは前衛と名のつく建築家であり、若干の興行師をまじえる。彼らの’’作品’’のうちもっとも醜、かつもっとも猥なるものは疑いもなくフジ・グループ・パヴィリオンである」(江藤淳「五色の文字と蝶の翅——万博ぶらりぶらり」、『季刊芸術』第13号、vol. 4、No.2、1970年、15頁)



「これは黄と白・・・中略・・・の横縞をもって彩った巨大な芋虫を、ブツリブツリとチョン切ってふくらましたような包〔パオ〕の一種である。横から見てもすでにみにくいが、これを切断面から木立越しに見たとき、私たちは唖然としないわけにはいかない。それはまったく女陰に酷似しているからだ」(江藤淳「五色の文字と蝶の翅——万博ぶらりぶらり」、『季刊芸術』第13号、vol. 4、No.2、1970年、15頁)

フジ・グループ・パヴィリオン